2016年2月17日 作成
刀の画像
文化財


(かたな)

問い合わせ 片岡1571-3(高成田滋家所蔵)

指定日
 昭和31年(1966)10月17日
 県指定第127号
指定事由
 一.源正行の作った刀で、最上作のものである。

 

解説
 刀を抜いて持った時、上になる方を棟といい、下になる部分が刃であるが、刃と棟の間の厚くなった部分が線状になっている。これを鎬という。
 この刀には鎬が通っているので鎬造りという。刀の棟に当たる部分は庵形をしている。刃先が長く伸びて大き目である。刀を造る時、鋼を折り返し鍛えた跡が板目の模様になって見え、刀と鎬の間には刃に焼きを入れる時にできた微粒子が浮き出ているのが見られ、ところどころに微粒子の固まった模様がまじり、鎬に近い方にその影のようなものが見える。
 焼きを入れた時にできた刃の部分の模様は互い違いに入り乱れ、沈丁華の蕾を重ねたような微粒子の集まりになって見え、刃文の境がはっきりしている。
 また、刃の部分に砂を流したような模様や微粒子が線状にかたまり、キラリと光る筋がみられる。刃先の冠状をした部分にも刃文が入り込んで曲がり、箒ではいたような模様が見られる。

長さ76.4センチ、反り2.4センチ
銘 源正行 弘化3年(1846)8月
正行
刀の画像その2
因州鳥取の河村寿隆の弟子で、山浦信風の次男、信州小諸の赤岩村に生まれる。一貫斉、内蔵助環、初名正行のち、秀寿と刻み、後また正行と改める。弘化3年(1846)未より、清麿と改銘。安政元年(1854)11月14日自刃(42歳)。