2016年2月17日 作成
文化財
野中家所蔵の古文書
(のなかけしょぞうのこもんじょ)
所有者
東京都世田谷区北鳥山5-8-18-3-2 野中要蔵家
指定日
昭和56年(1981)2月10日
指定事由
一.近世初期の、下吉田村(現住吉区)における土地の調査記録として、重要な資料である。
解説
- 「下吉田村甲辰ノ反別帳」(1604)
この帳面は、地引帳(江戸時代検地-田畑一筆調査-の時に作られた帳面)の写しで、高請人別に書かれている。
下吉田村内の、46町余が検地されている。
- 「遠州榛原郡下吉田村午ノ御検地帳」(1666)
この検地帳は、下吉田村内全体を再検地したときのもので、その面積140町余に及んでおり、小字は約180ほどある。慶長(1596頃)から寛文(1673頃)までの約60年間に、相当の田地の造成がなされたこと、また慶長以来今日までも小字が伝えられていることなどがわかる。
- 「午ノ検地名寄帳」(1670)
寛文検地を、作人毎に整理したものである。
- 「下吉田村寅御棹帳」
貞享3年(1686)の三次七右ヱ門組の本百姓の名寄帳と、小作者および小作地が、一覧されている。
- 「下吉田村申ノ御年貢方皆済之覚」(1693)
谷村藤十郎からの、年貢皆済の受取証である。
- 「下吉田村内之御年貢皆済之覚」(1694)
谷村藤十郎からの、年貢皆済の受取証である。
- 「卯の御免定割帳」(1699)
当年における個人別年貢割付帳。
- 「下吉田村可納御年貢割付之事」
長谷川藤兵衛が、年貢を割付けた証である。元禄16年(1703)の下吉田村の村高は、1194石3斗6升5合(約177トン)であったことがわかる。
- 「反別分米覚」(1763)
彦右ヱ門の個人の坪付帳である。
- 「皆済帳」
嘉永4年(1851)より明治6年(1873)までの、東組の庄屋である久保田平六が、東村の庄屋である野中彦右ヱ門に、年貢や諸入用を皆済した覚書きである。
- 「東組四十三軒」
明治9年(1876)に、東組43軒の持高(石高)を調査したものである。
以上11点の古文書は、江戸時代初期(17世紀初頭)から下吉田村の田地についての根本資料であり、吉田町史研究上極めて貴重なものである。
特に、1.と2.は注目すべきものがある。