2016年2月17日 作成
文化財
条里制遺跡
(じょうりせいいせき)
問い合わせ |
片岡横山地先3148-1外
(俗称:吉田田んぼ)
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指定日
昭和39年(1964)4月1日
指定事由
一.「吉田たんぼ」は大化改新(645年)以来、条里田のあった所である。
一.郷土の古代史を解く手掛かりとして大切な史跡である。
解説
昭和七年(1932)十月に編纂された「吉田町土地宝典」によれば、「吉田たんぼ」の北から南へ走る道路(現在の150号線)以西に、次のような小地名がある。
- 中ノ坪=林泉寺の南西にある山とその小地名である。
山の腰の南東・三右見の間にあり、条里特有の坪地名が残存しているものであろう。
- 三右見=焼津市三ヶ名と極めて似た地名で「見」は「名」で、中古名田の名ごりである。
- コウジカイト=コウジは、鍛冶または格子か。カイトは、垣戸のことで古代中世の屋敷跡を意味する。格子カイトとすれば、方形の屋敷を連想させる。
吉田たんぼは、湯日川と坂口谷川にはさまれた沖積地であり、
- 背後の片岡原は古代人が薪をとったり、狩をするに適している。
- 片岡原の南の縁には、古代人を葬った古墳が並んでいる。
- 北東部には湯日川が、西南部には坂口谷川が灌漑する。
- 能満寺南方は、「大日遺跡」であり、広く須恵器が分布し、古代又は中古の集落又は田地の存在が考えられる。
ことと前記の地名、地積図における田の畦畔の様子と考え合わせると、「吉田たんぼ」は古代の条里田があったことは確実である。
条里田は、古代の田地の制度で、奈良・平安初期の人々はここで稲作りをし、税を納めて生活していたのである。特に大日遺跡は、この条里田を耕作していた人々の生活の場であったと考えられる。
なお、この辺の集落は、細江郷の一部ではなかったかと思われる。