2016年2月17日 作成
能満寺原古墳の画像
文化財

能満寺原古墳
(のうまんじばらこふん)

問い合わせ

片岡龍光寺上3018

(大石佳七家所有地 現況茶畑)


指定日
 昭和39年(1964)4月1日
指定事由
 一.本町の代表的古墳である。
 一.郷土の古代史を解く手掛かりとして、大切な史跡である。

 

解説
能満寺原古墳の画像その2
 片岡原で確認されている八基の古墳群の中の、俗称能満寺原古墳(静岡県遺跡地名表には、龍光寺上一号墳と名づける)は、本町においては最大のものである。本町の古墳は、全部片岡原の南縁に並んでいる。これらは、島田市旧初倉村の古墳群の一部と考えられ、その最南東部に位置している。

 大正9年(1920)、この山林の所有者によって開墾される。円墳の外形・東西・南北の径は、約10メートルあったという。開墾者の話によれば、中央に石組みの長方形の部屋があり、東の方へ通路がついていて、石室の中央部から「管玉六個・長刀二振(三振以上?)勾玉二個・金環二個・須恵器の壷や皿の破片」をおびただしく発見した。上記の内つぼと皿の破片は、小箕に二杯程あったという。
 なお開墾中、この円墳の南10メートル余の所にも小さな円墳があったという。
 現在、大石家に直刀一振、同腐食した破片7.8片、管玉六個、勾玉二個、金環二個が所蔵されている。

 上記の話と遺物から、六世紀末紀に築城された古墳と推定される。
 ここは、旧初倉より伸びる湯南原台地の最南東端で、この原の下には条里田が拡がり、能満寺原古墳の東方には大日遺跡が拡がっている。また、山の腰には神明宮がある。
 以上の事と考え合わせると、この円墳に埋葬されている人は、
  • 条里田の耕作をしていた当地方の有力者か、あるいはその祖先に当たる人物か。
  • 神明宮は式内社に擬せられているが、これに関係ある部曲の長を埋葬したものか。

 片岡原の古墳の研究は、神明宮・条里田・大日遺跡など相互関係や年代関係を追及する手掛かりとなるものである。