2016年2月17日 作成
地蔵院の百万遍の画像
文化財

地蔵院の百万遍
(じぞういんのひゃくまんべん)

問い合わせ 神戸1777番地(地蔵院内)

江戸時代、悪疫が流行した折に7日7夜念仏を唱え鐘を打ちながら数珠を百万遍回し悪疫の退散を祈願したことに由来する行事が簡略されてはいますが、江戸時代より地域の人の手により続けられています。
指定日
 昭和53年(1978)2月9日
指定事由
 一.近郷にまれな、庶民的信仰行事である。
 一.300年来使用された百万遍の用具として、原形が保たれている。

 

解説
地蔵院の百万遍の画像その2
 江戸の初期(18世紀初頭)、神戸の下(現在の図書館北側)に地蔵尊を安置した辻堂があった。たまたま元禄元年(1688)、この辺りに悪疫が流行したので村人は辻堂に集まり、七日七夜念仏を唱え鐘を打ちながら数珠を百万遍回し、悪疫の退散を祈願した。以来、夏が来て流行病が村内に入らないように続けられた。享保9年(1724)に辻堂を現在の道上に移し、延命山地蔵院としてこの付近の新田開発者50余人は独立して与五郎新田と呼ぶようになった。以後も悪疫退散の夏行事として続けられてきたが、明治になると次第に簡略になり、第二次大戦以後は、第1日と第7日の2日のみ行事を行うようになった。現在も、短縮されながらも現状を保っている。
 8月15日早朝、大井川から清浄な砂を運び中央に御弊を立て、四面に注連縄をはり、餅を供え、双盤大小を置いて香をたく。村人は輪になり鐘をたたき、「チャンチャコチャーなんまいだ」と言いながら数珠を回す。暗くなると青年及び中老7、80人が裸になり、しめ縄を腰にまき、神酒を飲む。住職が御弊を頭上に上げるのを合図に一同立ち上がり、鐘に合わせて数回立ち回り、悪疫退散を祈願して数珠を納める。
 一週間目(廿一日)、再び集まって輪になり、本年の百万遍の行事が終了する。

行事に使用される用具
  • 双盤(大 直径30センチ)
  • 双盤(小 直径25センチ)
    与五郎新田村 寺柳岸代宝永三戌子天三月吉日
    西村和泉守作。
  • 大数珠(直径8メートル)
    麻の紐に直径4~5センチ程の珠約1、050個を通す。摩滅したため取り替えたものが多く、大きさが揃っていない。昭和50年(1975)に新調し、今までの数珠は保存することとなる。
  • 計数盤
    数珠をまわした回数を数える器具
  • 香盤
    30センチの方形桝形でこれに灰をつめ、香を置き火を点ずる。焼香の進行度によって時間を計る。