2016年2月16日 作成
文化財
川本月下「梅花の図」
(かわもとげっか「ばいかのず」)
指定日
平成8年(1996)5月31日
指定事由
一.当地に存在し、水墨画の第一人者川本月下晩年の傑作である。
解説
この絵は、中国伝来四君子墨梅の技法をもとに、月下独自の自由奔放な筆致と大胆な構図が強い印象をあたえる、月下最晩年の明治14年(1881)の作品である。
縦170センチ・横幅96センチ
紙本掛軸、水墨画
川本月下の略歴
文政元年(1818)淡路徳島藩(現在の兵庫県淡路島)の藩士小間家に生まれる。
その後、各地を流浪の末、弘化3年(1846)吉田町住吉川本家に身を寄せ、姓を川本と改め、本名は改作という。
漢学に明るく寺子屋を開くかたわら、月下または月下園と号し、水墨の春夏秋冬、あらゆる梅の図を描き自由奔放で、その豪壮な筆致は他の画人の追随を許さず、東海随一の名手と言われるに至った。
晩年は神戸の長源寺の一室に籠り、作画と門人の指導に専念する。
没年、明治15年(1882)9月13日、享年64歳。
寺には、門人12名が徳を慕って建立した石碑があり、大嶺院月下煤園居士と法名が刻まれている。